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【ネタバレあり】打ち上げ花火はドラマから見るべき

2017年8月18日公開のアニメ映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を見て、感想というかネタバレを気にせず思ったことを書きたいと思ったので酔った勢いに任せてこの記事を書いている。

映画の批評を満足に書けるような語彙は持ち合わせていないし、下の記事がいちばん考えに近かったので、こちらを読んでほしい。
『打ち上げ花火』は“打ち上げ花火”であって、『君の名は。』ではない

以下、ネタバレを含む。

とりあえず簡単に説明を。
この映画の原作は今から24年前、1993年にフジテレビ系列で放送されたテレビドラマ「if~もしも~」。
このドラマは、物語の主人公が2つの選択肢のどちらを選んだかによって分岐したその後の両方のストーリーを見せていくという作品。
2つのストーリーは、純粋に「そのときもう一つの選択肢を選んでいたらどうなっていたか」というだけのものであり、片方が主人公の妄想やタイムリープしてやり直した結果ということではないというルールがある。

毎週違う脚本・監督によって作られるオムニバス形式のドラマで、この「打ち上げ花火~」はその第16回目として放送された。
この回の脚本・監督は後に「Love Letter」「スワロウテイル」「リリィ・シュシュのすべて」「花とアリス」などを作ることになる岩井俊二

ドラマは好評だったため、この回のみ単独で再編集されて劇場公開された。

岩井俊二監督というと熱烈なファンが多いイメージだけど、僕は別にファンというわけではない。
原作のドラマはというと、本放送当時は5歳の男子幼稚園児だったので別にドラマに興味を持っていなかったし、見ていなかった。
数年後、夕方に「if~もしも~」の再放送をチラッと見た覚えはあるものの、「打ち上げ花火~」の回を見た覚えはない。
最近になって、「打ち上げ花火~」は名作だという話を聞いて見たいと思っていたところにケーブルテレビで放送予定があったので、録画してはいた。
しかし、録画したはいいもののまったく見ず、延々と先延ばしにしているうちに「打ち上げ花火~」がアニメ映画化するという話を聞き、それでも先延ばしにし続け、結局公開日の前日になってようやく見たという程度である。

とはいえ、結果として言えば、アニメを見る直前に、原作のドラマを見ておいて正解だった。

脚本の大根仁さんをはじめ、アニメスタッフが間違いなく原作への愛を十分に持ってこの作品を作ったことがよく伝わってきた。

それから、ドラマのメイキング・関係者へのインタビュー・メインキャストによるロケ地探訪などを交えて作品の作られた過程を検証したドキュメンタリー作品「少年たちは打ち上げ花火を横から見たかった」も数年前にケーブルテレビで録画していたのでアニメを見た後に見たが、できればこれもアニメを見る前に見ておいたほうが良かった。

幸いにもちょうど最近、2つをまとめたブルーレイが発売されたようなので、これが一番入手しやすそうである。

さらに言えば、ドラマ「モテキ」の第2話、いつかちゃんと小旅行に行く話も見ておくと、大根仁さんの岩井俊二愛を感じられて良い。

変わったところ、変わらないところ

原作から24年の時を経てアニメ化するにあたって、セリフやシチュエーションが変更されていたり、逆にそのまま採用されているところもある。

今度会えるの…

クライマックス、なずなが典道にかける別れの言葉。
ドラマの典道は、もう一つの選択肢の母親に連れ去られるシーンを、そしてどちらの選択肢を選んでいても変わらない、なずなが転校する結末を知らない。

「今度会えるの、二学期だね。…楽しみだね」

アニメの典道は、別の結果も、なずなが転校することも知っている。
だから、「二学期」ではなく、

「今度会えるの、どんな世界かな?」

二学期に会えないことをなずなはわかっていながらあえて「今度会えるの、二学期だね」と言って典道には内緒にしているほうがセリフとしては素敵なのだけど、やはりシチュエーションが違うのだから仕方がない。

観月ありさとセーラームーン

少年たちが、ドラマでは灯台へ続くあぜ道で、アニメでは灯台で、各々の好きな女性の名前を叫ぶシーン。

セーラームーンはセリフから消えたが、観月ありさはそのまま残った。

ただ、ドラマ放送当時16歳だった観月ありさはアニメ版公開時では40歳。
セリフ自体は変わらないものの、時代の流れでセリフの意味が変わってしまったパターンだった。

膨大なオマージュ

アニメには、原作ドラマへのオマージュが各所に現れている。

まず物語の舞台、「茂下(もしも)町」や、タイムリープを起こすときに電球のフィラメントに浮かび上がる「if」の文字は、シリーズタイトル「if〜もしも〜」からの引用ということはわかりやすい。

典道の履いている靴が真っ赤なスニーカーなのも原作とまったく同じ。

典道が診療所のベッドに座りナースに消毒液をつけられ、先生はゴルフのパターを練習しているシーンなんて、構図まで忠実に再現されている。

さらに原作へのオマージュは、見えにくい部分にも隠されていた。
原作ドラマだけを見ていたのではわからない、メイキング「~横から見たかった」を見てようやくわかるオマージュがあった。

原作のオマージュ元へのオマージュ

メイキング「~横から見たかった」では、作品に「ある本をこっそり忍ばせ」たとしている。
それが「銀河鉄道の夜」。

(ナレーション:山崎)「『銀河鉄道の夜』の冒頭シーン、担任教師は銀河について説明する。銀河の説明は炎色反応に置き換えられた。」

(銀河鉄道の夜)
教師「大きな望遠鏡で銀河をよく調べると銀河は大体何でしょう?」

(打ち上げ花火~)
三浦「ナトリウムも銅もバリウムもそれぞれ決まった色で発光するのね。これを…」
和弘「炎色反応!」
三浦「あら、よく知ってたわね」

(銀河鉄道の夜)
教師「では今日はその銀河のお祭りなのですから、皆さんは外へ出てよく空をご覧なさい」

(打ち上げ花火~)
三浦「え~、花火大会にはいろんな人が来ます。変な人に絡まれたり誘われたりしないように気をつけなくてはいけませんから、みんなこのプリントをよく読んで楽しい花火大会にしてください」

山崎「まさかここまで引用されてるとはね」
奥菜「う~ん、監督はよっぽどこの童話好きなのかもね」
山崎「うん」
奥菜「フフッ」

なずなと典道の2人が駆け落ちをし、親から逃げるために電車に乗り込むことで始まる不思議な二人旅のシーン。
原作にはなかったシーンだが、やはり原作と同様に銀河鉄道の夜をモチーフにしている。

幻のエンディング

アニメのラストシーンは新学期の教室。
先生が生徒の名前を点呼していくが、典道の名前を呼ぶも返事はなく典道は欠席、というところでエンドロールが始まる。

ドラマ本編にこのようなシーンはないが、「〜横から見たかった」では、実は似たようなシーンが撮影されていたことが明らかにされている。

(校庭で台本を持っている奥菜)
奥菜「シーン85。新学期の教室」

(ナレーション:奥菜)「それは使われなかったエンディング」

(台本を読む奥菜)
奥菜「教室ではしゃぎまわる生徒たち。黒板に三浦先生の結婚に関する落書きを書いている祐介たち」

三浦「はい、席についてください」
(生徒たちの拍手と歓声。慌てて黒板の落書きを消す三浦先生)
三浦「ハァ…さあ皆さん、夏休みも昨日で終わりです。今日からまた気持ちを引き締めてね」
(カメラがゆっくりとバックしながら教室を出ていく)
三浦「コウゴ・タツヤ君」
タツヤ「はい」
(中略)
三浦「ササモト・ミノル君」
ミノル「はい」
三浦「嶋田典道君」
(音声がここで消える)

(台本を閉じながら)
奥菜「おわり。」

アニメのラストシーンは、この“使われなかったエンディング”を24年の時を経て復活させたものに見える。

原作というコンテクストの有無

やはりこの作品は原作がどういうものかを知っているのと知らないのとで評価に大きな差が出てきてしまうのだろう。
「君の名は。」を思わせるような宣伝をして、そういうのを期待して見に来た人がこんな小難しい映画を見せられたらちんぷんかんぷんになるに決まってる。
そんなターゲット層のズレで、必要以上に低い評価をされてしまっていることがとても残念に思う。


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